剣聖−乱世に生きた五人の兵法者−

読了。
むかぁし昔『信長の野望』にハマっている時に、「上泉伊勢守柳生石舟斎?“剣聖”だの言ってもたいして使えないじゃん」とか暴言吐きマクりでしたが、コレを読んでちょっとその考えを改めました。
単なる人殺しの技ではなくって、哲学というか精神的な部分にまで及んでいるんだねぇ、と。
あと柳生の分派に『シベリア柳生』がなかったよ?←当たり前(w

思いがそこに至れば、人を殺さぬ剣というものが果して存在するのか、という疑問にぶつからざるをえまい。それを剣には<殺人刀>と<活人剣>とがあると釈明してみても、刀剣が人を殺す武器であるかぎり、<活人剣>などというのは、とどのつまりはことばの矛盾でしかあるまい。そして、その矛盾をどうしても克服しようとするからには、結局、刀剣を捨てるしかないであろう。

世をわたる わざのなきゆへ 兵法を
かくれがとのみ たのむ身ぞうき
兵法の かぢをとりても 世のうみを
わたりかねたる 石のふねかな